おっさんのぶつぶつ 1

2003,年4月7日 BBBが目指すものそれは、、、。
面白くて、わかりやすい音楽がやっぱり一番ですよねぇ。

やっとそう思えてきました。 でも、それがとても難しいこともわかってきました。

昔はあまり真剣に聞いてなかったいわゆる、ポップミュージックなんてそういう意味ではとても演奏するのが難しい

です。 

こんな感じで思いつくままにぶつぶつ書いて行きます。
審美眼
情報が多すぎるので、本当に優れたものを審査する力が無くなって来ている。

くだらないものをセンセーショナルに伝えすぎるからそればかり眼が行ってしまい麻痺してきている。 

悲しいことだと思います。

正直な本物を見抜く力を育てないと。 

メディアは無責任でうそつきです。そう思って見ないといけないです。
警察に捕まった
この前の日曜日、島根に行く途中、

中国縦貫でスピード違反で捕まった。

8年ぶりだった。31キロオーバー。後ろを走っていた仲間は必死でパッシングの合図をくれていたらしい。

こちらはそのとき、2月に生まれた愛犬の子供を自慢して全く気づかなかった。

次女(知的障害者)は後ろ座席から追尾のパトカーを発見していたが、

僕には知らせず、なんとデジカメでカシャカシャ。

彼女はパトカー、救急車が大好きなのだ。テレビも潜入物がお気に入りだ。

 僕がパトカーの後部座席で指紋を押しているときも窓から覗き込んで見ている。

「この子、入れてやってもらえますか?」といってパトカーに乗せてもらっておおはしゃぎ、

おまわりさんも楽しそうだ。でも、許してもらえなかった。当たり前だが。

 この写真のあと、すぐに捕まりました。全国の良い子の皆さん、パトカーが後ろに来たら喜んでないでお父さんに知らせ

てあげましょうね。
所有の欲求、から存在の欲求へ、すると自分のころ加減が見えた。

お金を沢山儲けたい。良い生活をしたい。贅沢三昧をしたい。と思う気持ちありますよね。

実際大金持ちでそんな生活をしている人をテレビで見たり、雑誌で読んだりします。

良いなぁ。羨ましいなぁ。

まぁ僕には無理です。無理だから羨ましいのかな?

 でも、そんな人も死ぬんですよね。必ず。そこは僕と一緒なんです。  

そしたら、死ぬまでの間に社会にどれだけ存在を示せるか。という方が僕にとってより現実的かなぁ、と思ってきま

した。 

 するととても気分が楽です。そりゃ、お金はあるに越したこと無いけど、それもころ加減で良いです。

数年に1度、1000円/100gの肉を食い、日常は98円の輸入肉を食べるというのが心地よいです。 

自分のころ加減に合ってます。
僕の周りにいるクールな人、絵描之正(えかきのまさ)
彼の絵を見たとたん、その虚飾の無いすがすがしさに驚きました。

「ぼやっと暖かく、悲しい絵」(実際に見てください。彼の言葉で好きなものがあります。

愛とは、お互いに与え合うものなり

愛は、自分をさらけ出すことで得られるものなり

人生は勝たなくても良い負けない、勝とうと思ってはいけない負けないことは勝つことより尊く、難しいものだ

僕の周りのクールな人、絵描之正です。
クリックしてください。彼のHPへジャンプします。
集中して夢中になってるとき
 時間のたつのも忘れて、演奏に没頭してしまう。

とても充実した満足感にひたれる。そんな幸せなひと時をすごしながらBBBでギターを弾いている。
 
集中して、夢中になっているときが一番楽しい。だから、毎日の運指練習もこなせる。 

たまに、ギターを見るのも嫌なときがある、そんなときは無理せず大好きな映画を見たり、散歩をしたりする。 

そこでまた集中する。 仕事ももちろん、集中して夢中にやる。そうするとあっという間に時間が過ぎていく。

上手くいかないときももちろんあるが、そんなときは仕事の移動中に大好きなギタリストの超人的なプレーを聴く。

聴くことに集中する。


すると、不可能に思えていた超人的プレーが出来そうに感じてくる。

「やれるかもしれない、やってみよう。」と思って、ギターを持てるようになる。

でも出来ない。集中して夢中になることは楽しいが、出来ないものは出来ない。
柳家小さん
NHK教育ラジオで昼12時10分からやってる「ラジオ名人寄席」が好きだ。

玉置宏の軽妙な語り口と豊富な演芸の知識に酔いしれながら、本編のその日の出し物へと続く。 

あるとき、柳家小さんの出し物で、その下げの後、

「生前、師匠はとどのつまり、芸とは、間と人間性だ。とおっしゃってました。」と。 

間とは、その人の息遣い、日々の生活リズム。人間性とは、物の考え方。性格。要するに、芸はその人そのものと

言うことか。 

技を磨くことに熱心になるばかりではなく、己を磨けと。 人間国宝の言葉だけに、とても深い。
時間や、勝ち負けのはっきりしない世界
文化芸術の世界って、スポーツや囲碁将棋の世界みたいに勝負がはっきりしません。

曖昧と言うのではなく、色んな表現方法があるということでしょう。 

でも、ひとつはっきりしてることがあります。 なにを伝えたいかがはっきりしていて、それを聴いているかたがたと共有できるかどうか。これが大切です。

「どうですか、僕らの演奏ってうまいでしょう?」

という音楽は耳障りだし聴いていて気分が悪くなります。

しかし、そういう演奏がいかに多いか。 ある、僕の尊敬する方が仰ってました。

「5.000円出して一流半の演奏聞くくらいなら、10.000円出して一流の演奏を聞く。」 この場合の一流とは演奏の上手さだけではなく、そのコンテンツ全てです。

 演奏が三流の僕らに出来ることは、伝えたいことをしっかり持ち、それをお客様と共有することしかありません。 

ゴールの無い厳しいレースですが、自分の限界も見えませんから可能性は無限です。しいていうなら、あきらめたと

きがゴールで自分の限界ということです。 
新しいもの
「新しいものの創造を追求している。」と良く言う演奏家がいる。

そしてそのためにもがき苦しむ様を誇らしげにする。本人はそのつもりなのだろうが、どだい無理な話である。

人間は言葉をもったときからそんなに感じ方は変わってない。

所詮、遺伝子レベルの記憶の中でしか創造できないものだしそれでよいと思う。耳で聞いて新しいと感じることは実

は自分の記憶のどこかにある何かなのだ。 

そう思うと、おのずと本当に良いものが判って来るしそれを造ろうとする人の思いも伝わってくる。

 技術の進歩を新しいものの創造と勘違いしている人がいるが、それは記憶をアレンジしているのであって、

ある意味創造かもしれないが、僕らに出来ることはそのレベルだ。 そして文化と文明は別物と理解したうえで共存

し得るものだ。
素質と才能
 凡人の僕にしてみれば、素質のある人ってとても羨ましい。

しかし、せっかくの素質もそれを伸ばそうとする才能がないと宝の持ち腐れになってしまう。

結構そういう人って多いです。だから、難しいし面白いんですが。 

僕のような並みの人間が頭一つ抜けようと思えば、やはり努力しかないです。

人生全てそうです。努力です。そして、努力したからと言って報われる保証は無いのです。

それでも良いから努力するのです。 何故そこまでやるのか? ただ、自分がどこまでやれるか見てみたいから。
思考停止
 同じことを繰り返していると、思考が停止する。

この状態がつづくと、日常生活に倦怠感をともなう。といって、それを打破する力も無くなっている。

こういう場合、現状を再検証して、新しい日常を作るのが良い。 

音楽の場合、同じ曲を同じ解釈でやっていると、やはり思考停止になる。

原曲の解釈を試行錯誤しながら色々変えてみる、そういう活動が絶対必要だ。自分の演奏がマンネリにならないた

めにも。
演奏者冥利
BBBの看板娘ChizuRuが一番素敵に見える時、それはBBBで歌っているとき。

そういう演奏をすることがバックの力。僕らの奏でる音のドレスに身を包み歌う彼女はヒロイン。

喜怒哀楽の交差する心を虚飾を捨て伝える。僕らはこのときこそ、演奏者冥利につきる。 
自分に合った楽器
僕が使ってる楽器、ゴダンデュエットナイロン。

エレガットギターだ。

楽器店で初めて弾いたとき、その抱えごこちの良さに即購入してしまった。

音は生ガットに比べるとやや温もり感に欠けるが、ライブパフォーマンスは抜群でエレキギターと同等。

録音もラインとコンデンサーマイク2本たてれば充分臨場感も出る。

デザインが少しキワモノっぽいので好き嫌いが出るが、トラディショナルとアバンギャルドの二面性を持つ僕に合っていて気に入っている。

味付けにTCエレクトロニック社のMoneとソロパートの時にバリトンブースターをポジション1で使っている。

このポジションはコンプレッサーを通さないナチュラルな音でブーストアップさせるので音色に違和感が無い。アンプはAERビンゴでシールドはキャノンにしている。

そのほうがダイレクト感がある。BBBの音作りの基本、空間を飛び交う妖精のようなギターを具現出来ている。
 
わざと決めない
レパートリーの中で何曲か、ギターソロをアドリブで弾いてる。

わざと決めない。その日の他のメンバーの音を聴きながら、歌の感触を確かめてそのときに感じたままを弾いて

る。

決めてしまうほうが楽だが、それじゃあつまらない。ギターソロでお客様に語りかける僕の思い。上手く言えたり言

えなかったり。それが楽しい。
花火
 夏の夜に一瞬の花を咲かせる。

久しぶりに花火大会を見に行った。昔に比べると色とりどりの花火が色んな演出で夜空に咲き乱れているのに驚

いた。

また、この一瞬を何時間も待っている人の多いことにも改めて驚いた。

何故か。 そこに凝縮された手間隙全ての爆発、そして消滅。その一瞬の充実感ではないか。

だから美しく、素敵なんだ。 映像や音源としての音楽も素敵だか、やはりその瞬間に込められた一瞬の充実感に

勝るものは無い。手間隙を掛けて挑むライブに花火と同じ爆発と消滅の充実感を込めたい。 
感情移入
BBBで今取り組んでいる事、それは感情移入。

演目のデッサンをしっかりし、大げさすぎるほどの感情移入をして演奏する。

 僕らのような三流にはおおげさくらいでちょうど良いのだ。

もちろん、見た目ではなく、音として。悲しい言葉はとても悲しく、嬉しい言葉は底抜けに嬉しく演奏する。

これが、とても大変で難しい。心と体がバランスされてないと出来ない。

個人練習もコンディションで内容を変える。課題曲の反復練習はもちろん日課だが、

バンド練習に向けての持ち曲の仕上げになると心と体の状態を良い具合に保つのが難しい。良い日は一気に仕上げるが、悪い日は技術的な練習だけにする。

そして、早めに切り上げて映画を見たりする。次の日には良い状態に持っていけるよう細心の注意をする。

なぜなら、僕らの練習は他のメンバーが聴き手になるので、本番さながら。別の意味での真剣勝負になる。
日本人
日本人にしかできないギターは無いだろうか。

アメリカとヨーロッパではギターの音色が違うように日本の音色を作れないだろうか。

日本式音階や沖縄民謡を取り入れた、というのではなく、あくまで西洋の音階で。 

それが出来たとき、日本のギタリストが世界に認知されるように思う。

技術的にはかなり弾けるようになってきた日本のギタリスト、あとは世界の中でのアイデンティティを確立する時で

はないか。

 心根に日本人としての誇りを携えて。宗教をよりどころとしていない日本人の心根とは、僕の場合「名こそおしけ

れ」か。いつか日本人ギタリストが世界に「日本人が弾くと俺達の音楽がこんなに膨らむのか」と言わせて欲しい。 
自由に自分らしく
課題曲の趣旨を確認し、ボーカルが歌いやすいかどうかのチェックがすめば、後は演奏方法は各自全く自由にや

ってる。

相手が自由になってはじめて自分が自由になれる。細かい指図を出すことよりも、それぞれの演奏色を大事にしたい。

僕らがこのバンドに在籍している意味がそこにある。

全てを誰かの指図でやるならそいつが全てを演奏すれば良い。 

自由に自分らしくやると言うことは、各自演奏内容に責任を持つと言う事だ。

するとメンバーに自然な規律と秩序が成立し、演奏に意思が生まれ、僕らが思いもつかない方向に行く。

演奏が終わると、興奮気味の僕らがいる。みんなの思惑と違うアレンジが成立する。
熟成
歌は世につれ、世は歌につれ、と言う。まさにその通り、ブームとしてその世代毎に歌は存在する。

そして、必ず何十年か経ってリバイバルする。

懐かしい思いからか?良いものは記憶に残り、あるとき再び世に出る。昔のままではなく。

あるときは、カバーと言う名目でアレンジを変えて。

また、詩とメロディは違うが、コード進行が同じだったり。たいてい大きなブームが終わろうとするときに来る。

しかし、その曲はじっくり熟成された全く別の物になっている。そして、次のブームを探す。ブームと言う発酵は次の

記憶になり、結果熟成されたブームは文化となり、歴史に刻まれる。

センスとスピード
かつて、高橋幸宏(YMO)のレーベルに居たT,H君としばらく一緒にやってたことがある。

彼といえば、センスとスピードを思い出す。

大学生だった彼はギターでキングクリムゾンのエレファントトークのベースパートを弾いていた。

腰が抜けるほど驚いた。技術的にはたいしたことなかったが、そのセンスとそれを曲に取り入れるスピードが違う。

半年ほどして上記レーベルのオーディションに合格し瞬く間にスター街道を駆け上った。

一時はコマーシャルにピンで出て、曲も30万枚ほど売った。

成功するには運も重要だか、センスとスピードがないと分岐点にすら立てないと実感した。 

 20年後、僕はマイペースで音楽をやってる。素敵な仲間に囲まれている。たが、彼ほどのセンスとスピードを持っ

た奴は未だ居ない。会えそうな予感がするんだか。
恩返し
音楽にのめりこんだ僕の人生はとても幸せだ。

これはひとえに周りで僕の道楽に付き合ってくれる友人が居てくれるから。こんなに幸せでいたらきっとバチが当たる。 

だから恩返しをしようと思う。僕らのように音楽好きなアマチュアやプロ指向の人の活動がしやすくなるように環境

をととのえる。そういう形で今いろいろ考えている。
バンドの公共性
人前で演奏している限り、ある意味でバンドとは公共物である。

お客様の物でもある。よって、音楽性はもちろん、演奏する曲、いろんな部分でメンバーの意向とともにお客様の意

向も加わる。それで当たり前と思う。

「自分の音楽性と違うから。」と言う演奏家がいるが、そんな奴は結局自分の演奏に酔いしれていたいだけで、それ

を聴いている人のことなど全く考えていない。

『聴かせてやってる』と言う事だ。

それに、自分と全く同じ音楽性を持つ人など、いない。違って当たり前。 

今回メンバーの入れ替わりに当たってはお客様(大ファンの人だが)にとてもご尽力いただいた。

なかなか意中の人が見つからないで困っていると、

「そりゃ大変だ、探したるわ。」と自分のことをほっといて探し回ってくださった。

そして、パンチとハートの塊のような人を紹介していただいた。 御礼を言うと、「こんな良いバンドの演奏が聴けな

くなると寂しいから探さないといけない、と思っただけ。」とあっさり仰った。BBBはこの方の物でもある。ねっクマさ

ん!
デュポンギター
ビレリ ラグレーンの流れるような、飛ぶような、切なく、力強いギターに魅了されてからと言うもの、

「いつかは僕も彼のように弾きたい。」と思っていた。

しかし、それが不可能であることは当然知ってる。

が、金さえ出せば同じギターは持てる。はははっそして見つけた。たいまいはたいて買った。

 同じ鳴りだったが、やはり出てくる音は別だった。

いつか、ストラヒバリウスの職人が言ってた言葉を思い出した。「どんなにすばらしい楽器もそれを弾く人の実力以

上の音は出ない。」どうしよう。これっ↓
森 進一
先日BSでなつかしのメロディを放送してた。

懐かしいVTRをぼんやり観ていると、生の森進一が出てきた。

昔のようにフルバンド付きだ。おふくろさん、襟裳岬、冬のリビエラ。

彼のキャリアを象徴する選曲だ。

司会者が、「おふくろさん、のころはもろ演歌でしたが、そんな森さんが襟裳岬で吉田拓郎さんいわゆるフォークソ

ングを歌われる、またその後には冬のリビエラで大瀧栄一さんを歌われる。当時としては演歌の歌手が?と言われたものですが。」

森は「自分がデビューした当時は皆歌謡曲と言うくくりで言われておりましたので、別に違和感はありませんでした。

むしろ演歌とか、フォークとかと色分けしていくことが良いことなのかと感じておりました。それと、自分でやってみよ

うと思って選んだ曲より、人に『この曲、君に歌ってもらいたいなぁ』と勧めてもらった、例えば襟裳岬とか、冬のリビ

エラの方が皆様に評判が良かったりしました。」  

 歌謡界のトップとして30年以上君臨する森進一の言葉だけに重い。そう、昔はジャンルなんて無く、皆歌謡曲。

演者がすることは、自分がやりたいことじゃなく、人が自分にやらせたいこと。 そして、そのバックバンドで妙に

小気味良いリズムを刻んでいたドラマーは日本のジャズドラムを変えた奴、そう、村上ポンタ秀一だった。皆、凄

い事をする人は能書きなど垂れず、さりげなくやる。
ライブMD
 僕はBBBのライブMDを繰り返し聴く。

何十回も聴きなおす。中には下手とか、間違ったとかで恥ずかしくて聴けない人もいるが、それはお客様やメンバ

ーに対して失礼な話だ。

下手なのは練習不足の結果でしかなく、間違うのが人間だ。

自分のその日の一生懸命やった演奏に責任を持たないなんて話は無い。

 それをしないと次のレベルに行けない。自分がやらないといけないことを知ることが大切だ。

表現が上手く出来ているか。ボーカルとデシベルの振幅が一致しているか。他の楽器との調和はとれているか。

確認し頭に叩き込まないといけない。

それには聴きなおすしかない。そして、肝心なことは精神面をライブの時と同じレベルにさせることだ。その日のレ

ベルが維持出来ないと次には行けない、心と体のバランスがとれたレベルアップは望めない。 
必死になってやる
 必死の演奏に興味がある。

小ざかしいテクニックをひけらかして、さも凄いことをやっているんたぞと言わんばかりの演奏は実につまらないしく

だらない。

雑なだけでうるさい。耳障りだ。 

必死に演目に取り組んで何度も練習して自分にこれでよいか問いかけて見る。

そうした演奏が面白いし分かりやすい。弾き損なったりリズムが外れたりしても構わない、もうこれ以上出来ないと

言うところまでやる。そういう演奏しているときの人の顔は素敵だ。 俺だって必死になってギターを弾いてやるぞ!
アルチザンとアルチスト
最近の芸能界にはアルチストがいっぱいいる。

芸術家と言う意味になるのだが、、、。

43歳にもなって人前でギターを弾いている私はこういう芸能界が少し恥ずかしい。

僕は才能も無いし、芸術に係わっている意識も全く無いのだ。でも、職人にはなりたい。その道一筋、ぎりぎりに自

分を追い込んでもたどりつけるかどうかの職域。アルチザン。
得意のフレーズ
ほとんどのギタリストは得意のフレーズを持っている。

だいたい3から4パターンある。それを曲に織り交ぜて弾いている。

やっつけ仕事にはこれが一番だ。誰が弾いても同じスタイル。聴くほうも邪魔にならず楽だし安心だ。

僕は出来るだけ頭を真っ白にして曲と向かい合うようにしている。何を弾いてるのかどういうストーリーなのか聴い

ているほうは訳が判らなくて不安になる時もあると思うが、

僕の心の中のその日の歌を指先に込めていくとそうなる。何十回弾いても「上手く表現出来たなぁ。」と思えること

は無い。それでも真っ白にして向かい合うようにしている。悪魔のように細心に、天使のように大胆に
特徴
レパートリー曲ごとでギターに特徴を持たせている。

曲が違うのにギターの弾き方が同じと言うのはそもそもへんだ。

詩によって、メロディーによって自分なりに感じたように演奏している。

カッティング、両手の強弱、弦のポジションなど。ちょうど良い位よりも少し大げさに。

するととても曲が膨らんで、歌と寄り添ってくる。実に面白いし楽しい。しみじみ音楽は心で弾くものと思う。
言葉を伝える
7/3のファン感謝デーライブ終了後、お客様と酒を酌み交わしながら色々お話させていただいた。

いつもご夫婦でこられて、にこにことても楽しそうに聴いてくださる。

「最近は音源が良いから、その場にいるように一流の演奏が聴ける。そうなると中途半端な演奏を聞くのがとても

つまらなくなってきた。そんなとき、ふと、真面目に音楽と向き合っている素人の演奏が心地よく思えてきたんで

す。」

そう仰った。「貴方達は楽器を演奏しているが、その音は言葉として僕らに伝わってくるんですよ。」

そして、歌い手さんは君達の言葉を代弁してるということなんでしょう。」

BBBの音作りをこんなに正面から受け止めてくださってる方がいる。会場の後片付けをしながら、ご夫婦の言葉を

思い返して身の引き締まる思いだった。
七人の侍
1954年 黒澤明監督作品

高校生の時、今から28年ほど前、神戸新聞会館でリバイバル上映時に初めて観た。

音響が悪く 台詞が良く聞き取れなかっが、完璧なシナリオと演出、世界一流の技術スタッフ

そして、超豪華出演者の必死な、芝居とは思えない演技に圧倒されてしまった。

今はとてもよい時代で、DVDが出ている。字幕もつけられるので聞き取りにくい台詞もしっかりわかる。

僕ごときがどうのこうの言えないが改めて思うことは「映画の中の映画だ」と言うこと。

最近、テレビのワイドショーなどで封切映画館から出てきた若者達が、「良かったぁ」 「感動したぁ」 「泣けまし

た」 と言ってる場面を見るが彼らはこの作品を見たらどう思うのだろうか。

半世紀も前に日本ではこんなすばらしい作品を作っていたことを知っているのだろうか。

音楽に目を向けてみても同じことが言えそうだ。

ただ、若い人にこの作品の凄さがわからないことが嬉しく思う気持ちもある。

赤ひげ
1964年 黒澤明作品

保本(加山雄三)の心の成長を軸に江戸時代の医療現場での人間模様を描きます。

黒澤作品全般に言えますが、シーンに込められたエネルギーが強い。

風景シーンだけでも詰め込まれた何かが観客に訴えてくるのです。

説明が多いわけでなく、カットやアップ、ズームを多用するでもないのですが、語りかけてくるのです。

要するに良い作品はキャメラが演技せず、被写体がしっかり演技しているのです。

だから、やたらアップやズーム、フォーカス送り、カット割を使った映画は疲れるだけで印象に残らないのです。

最後の長坊が毒を飲んで診療所に担ぎ込まれてからのシーンは何度観ても泣けてしまいます。

生きることの大切さを知る人のみ荘厳な死を向かえることが出来る。

「死ぬまで一生懸命生きろ」と思い知らされます。
1985年 黒澤 明監督作品
圧倒的で完璧、美しすぎて呆然。

封切の時映画館で見た感想です。

どう表現してよいか分からない、僕ごときの語彙では言い表せない。

ただただ、シークエンス毎に拍手するだけ。

武満徹の音楽が心に突き刺さります。

芸術とはこれだという事でしょうか。

「神は、いつの世も殺し合いを繰り返す人間のおろかさを泣いておるのだ。」

ロケ地九州飯田高原。
生きる  
1952年 黒澤 明監督作品
果たして僕はこの世に生まれ本当に生きているのだろうか。

もしかすると生きたまま死んでいるのかもしれない。

根源的に生きる事は個人的なもので比較することは無意味だか、改めて自分自身に問いてみました。

主人公の渡辺課長のように胃癌を宣告されてから慌てて生きようとしないよう。

劇中キューバン・ボーイズの市村俊幸のロックンロールや日劇ダンシングチームの倉本春枝のダンスがとても斬新

で素晴らしかった。

ダンスホールではPCLスイングバンドの演奏で踊る人ごみがまるで波のようにうねっていたのも衝撃的でした。

リズムや演奏技術ではなく、その時代の音の情熱が伝わってきて、頭を垂れてしまいました。
野良犬  
1949年 黒澤 明監督作品
「刑事物」と言うジャンルはこの作品で確立されたそうです。

戦後の闇市を隠しカメラで撮影したり、とにかくドキュメンタリータッチが怖い。

三船敏郎がかっこいい。

僕のリアルタイムで知っていたミフネは動かず、しゃべらず、芝居せず、と言う俳優でしたので、正直惚れました。

喰らいついたら死んでも離さない野良犬のような激しさを持ち合わせた真面目で一直線、そして優しい役どころを

見事に演じています。

しかも役名が村上 五郎刑事 僕が村上 二郎です。やっぱ惚れました。
どですかでん  
1970年 黒澤 明監督作品
初のカラー作品。

最初のタイトルバックに写る電車の色にひっくり返りました。

黄色がとても美しい。

この町の人たちは果たして異常なのか正常なのか。

いや、僕らの日常にもこんな人たちはいる。

では僕らは異常と正常を併せ持つ両生類なのか。

そんな中、電車バカの六ちゃんは今日も走り続ける。

シュールな作品です。

プログレ好きな僕はこの作品に惹かれます。

武満徹の音楽が素晴らしい。
黒澤 明
 
これまでに紹介した6作品、時代物3作現代物3作は独断で選んだそれぞれのベスト3です。

敢えて「用心棒」「椿三十郎」「隠し砦の三悪人」「天国と地獄」「悪い奴ほど良く眠る」ははずしました。

なぜなら、面白すぎるからです。

七人の侍は面白すぎるをはるかに超えて凄すぎるので選んじゃいました。

こんな素晴らしい作品を作る人に近づこうと思うことすら大それた考えなのは重々承知してます。

作品に、泣いて、笑って、心揺さぶられで清められて、

それからギターを抱えるようにしてます。
インプット  アウトプット
いろんなジャンルを聴く。

特に演歌、民謡、は実に良い。浪花節も好きだ。日本人の心に響く何かがある。

エラフィッツ ジェラルドと美空ひばりはどちらが上手いのだろう。

今までの自分が無知であったことへの反省を込めて

ばかげた比較を真剣に考えたりする。

最近、歌舞伎、能、狂言、日本の伝統文化に気持ちが行っている。

独特の間合い、物語の超現実性。もっともっと知りたい。

この歳で恥ずかしい次第だか、改めて日本人を自覚している。

若いうちに判らなかったことがだんだん見えてきたから尚のこと、

加齢に応じたインプットの量と質を増やさないといけない。

インプットの少ない人にアウトプットは無い。

業界を 観客席から、、、。
 ミリオンセラーのヒットが出なくなって久しいらしい。

狙って出るものじゃないし、辛いところだ。でも、だからこそ原点に立ち返って考えてみる。

そもそも僕らの趣味嗜好が千差万別になっているのに100万人もひとつの方向に向かせることが可能なのだろうか。

業界にすれぱ1人のタレントコストでたくさんの売り上げがあるにこしたことはないが、それは売り手側の都合。

安直な方法は考え直すところにきているのではないか。

 業界は世界一品質に厳しい消費者に納得してもらえる商品(曲)を生産出来ているのだろうか。

業界もリストラしてもっと少ない投資で利益が出るようにしないといけないのでは。

 曲も何千万円もする機材で加工したとても良い音質でないと駄目なのだろうか。

まず良い曲ではないのか。

 販売方法も音質が市販の機材で良いならミュージシャン単位でインターネット配信による音源収入も期待出来る。つまり商品の選択肢

が飛躍的に広がる。ミュージシャンも自主制作CDのリスクが減る。

その実績を持って業界に売り込むこともできる。業界も初期投資が少なくてすむ。

 上手く業界に滑り込めても職業として実に不安定。特別な訓練や世界的な技術や才能を持ったから賃金が保障されるとは限らない。

 人気が出たら出たで寝る間を惜しんで音楽活動を続ける。

創造を仕事とするなら、仕事したいとき、したくないときのバランスをしっかり持ったほうが良いだろうに。


「それがこの業界。」 と言うことなんだろうか。


 だいたい、職業として成立するのだろうか。

ゆえに 自由業  なのか。



「ええやん、関係ないやん。」  で良いのだが。

凄い人と思わせる方法
自分より凄い人を批判すること。

決して褒めてはいけない。そんなことをするとその人よりつまらないと自分で認めてしまう。

つまらない人はそうして生きていく。好き、嫌い、の表現ではなく、

「あいつらの音楽は駄目だ。」

「あんなアレンジなんてなってない。」 という調子で行こう。でも決して代案は出さないこと。

知識の少ないことも悟られぬようにしなければならない。

知らないミュージシャンの事が話題になったら、

「それより000000の方がきっと良いよ。」とかわそう。

人前では決してギターを弾いてはいけない。どうしても弾かなくては仕方ないときは前もって言い訳をしておこう。

「最近、練習してないしなぁ。」

「昔はあの曲が弾けたのに。」

またそれが自慢のギターならまず褒めよう。そして気を良くさせておいて

「あれっ?ポジションが狂ってるよ。」とメンテナンス不足を指摘しよう。そして

「残念だけどこんなメンテナンスじゃ弾けない。」と言わんばかりに返そう。

有名じゃないけど、自分たちよりは売れてるミュージシャンがいたらさっそく利用しよう。

「あいつらとは腐れ縁でねぇ。」と意味ありげな言い回しをぶつけてやるともう大丈夫、これで正体はばれない。

大切なもの
2005年、6月18日、松村達雄さんが永眠されました。

報道では、山田洋二監督の男はつらいよが紹介されてましたが、

私には黒澤明監督の遺作 まあだだよ の内田百關謳カ役が印象的でした。


こんな殺伐とした時代だからこそ哲学が大切と晩年の黒澤監督は仰っておられました。

内田先生が第17回摩阿陀会の席上、生徒の孫達に語った言葉が忘れられません。

「みんなーっいらっしゃい、いらっしゃい。

私は、皆さんに言いたいことがある。

伝えたい言葉があります。

本当に大切なものを見つけてください。見つかったらそのために一生懸命努力してください。

そうしたら、それはきっと貴方にとって立派な仕事になるでしょう。

うーん、ちょっと難し過ぎたかな?」



大切なものを見つけた私は先生の教え通り一生懸命努力してます。

立派な仕事になってるかどうかは分かりませんが、毎日が楽しく、幸せです。

つくづく映画は素晴らしいと思います。
音楽観が変わった一枚
25年前、プログレフリークの僕はいわゆるパンクムーブメントには否定的だった。

唯一ポリスを除いて。

しかし、このアルバムを聞いてから、音楽の可能性に無限の力を感じ、自分の浅はかな音楽観は木っ端微塵に吹っ飛んだ。

トーキング ヘッズ  リメイン イン ライト 

彼ら本来の音からすると異端的アルバムだが、デビットバーンとブライアンイーノのコンビが繰り出す音はトーキングヘッズの過去も未来も関係なく

このバンドを決定付けた。

 そして、今思えば僕がエレキサウンドとしてのギターを諦めたのもこのアルバムによってだった。

スペシャルサンクス の 稀有なギタリスト エイドリアン ブリューの虜になった。

その後彼は僕が大好きな キング クリムゾン に加入。

ライブ イン ジャパンではロバート フィリップ との競演をまじかに観た。

アンプはJC エコーはグヤトーンのアナログ ローランドのギターシンセ。どれも僕の機材とそんなに変わらない。

でも出てくる音が全く違う。

オリジナルに加工していることは知っていたが、

「いったいどんな発想をしているのだろうか。」と言う、本質的な部分から解明不能だった。

まさに、クリエイティブィティな人だった。

僕はそれからエレキギターを弾かなくなった。
             
BBBを支えてくださるファン ノリエモンこと 村上典子さん
彼女は 村上典子さん、


次女です。
彼女の応援があって初めて僕はバンド活動が出来る。
BBBのライブには必ず来てくれる。

本当にありがたいファンです。

今回、九州飯田高原(はんだこうげん)で催された第13回全国障害者乗馬大会に出場した彼女はなんと、
 

20数名の参加があったにもかかわらず優勝してしまった。
当日プレゼンターで来られていた俳優で大分名誉市民の榎木孝明さんに表彰され御機嫌。

生きる意味を教えてくれている存在です。
ドナーになりました。
僕ら夫婦にとって

大切な人が白血病になった。

夫婦で骨髄バンクに登録しました。

宗教とか全く信じたりしない僕らなんで、祈ることよりも行動だと思いました。

 出来れば僕の骨髄が合ってくれれば。

彼の奥さんは僕らのドナーカードを見て

「鳥肌がたった。」

と言いました。

 数ミリグラムの血液を採取するだけで登録出来る。

たったそれだけの覚悟なのに。

 彼や家族の一縷の望みになる。 

この世界に偶然生まれた僕ごときでも出来ることはある。

「やる気になれば、やる気になれば。」
サンキュー手塚
ひょんな事からあるイベントでPAを担当することとなった。
ゲストで来ていた大道芸人に恐れ入った。
サンキュー手塚
本人曰く「宴会芸みたいなもんですから。」
とすれば、宴会芸も極めればここまでになるということか。
登場していきなり、下手に出て芝生でくつろぐ人々を引き付ける。

ぱっと空気を変えるターミネーター練り歩き。
変装して曲に合わせて梅干を食べるオールウエイズラブユー
何故かつらをかぶると素人でもサンキュー手塚と一緒に曲に合わせてすっぱい顔するのだろう。

彼独特の暖かさ、跳べそうな気にさせる眼差しか。

エンディングは
愛  
土日で計5回観たが展開がわかっているのにもかかわらずいつ観ても楽しく、それを観るお客様の顔をみるのも楽しみだ。
何度観ても面白い。

絶妙な芸と技のバランス。
            
画像をクリックしてください。サンキュー手塚さんのHPへジャンプします。
リズム
リズムによってジャンルが決まる。

しかし果たしてそうだろうか。

本来、リズムとは演者の呼吸、演目の流れ、起伏の表現方法などで変わるものでははないだろうか。

分かりやすいところでは民族文化の中で培われていたりする。

その国、地域の独特の鼓動。それが音楽に対してとても大切な部分になっている。

ジャンルを決定するためのリズムを刻まれることで音楽に対するエモーショナルな部分を捨ててしまっているような気がする。

テンポや速さ、リズムの刻み方など無視して、

もっと深い部分で調和できるはず。

僕らには僕らのリズムが有る。

リズムはマニュアルではない、早くなったり遅くなったり、その都度変わるもの。
サンキュー手塚 追記
8/20天保山に サンキュー手塚さんが来ていたので、家族で観にいった。
出番前に挨拶すると、
「明石海峡公園でお世話になった村上さんですね。」

覚えていてくださった。

写真とサイン、

年甲斐も無くファンになりきってしまった。
  

曲芸、ジャグリング、パントマイム、彼の師匠は日本のトップゆえに、その気になればかなりやれるのにあえてやらず、宴会芸に徹する。

ジャンルを超えた独創性。

クリエイティブィティな人だ。
          
←クリックするとサンキューさんのHPにジャンプします。
上条恒彦 チャリティコンサート
高校のころ、上条恒彦と六文銭 と言うグループが 旅立ちの歌 を歌っているのをテレビで観て、
全く異質のミュージシャン。と言う感想を持った。

その後、木下プロ製作の 木枯らし紋次郎 主題歌 誰かが風の中で を歌った。
絶望のどん底でも生き抜く強さを感じた。

僕にとって、それからずっと特別な存在だった。

2001年、知り合いからコンサートを知らされた。
家族と観にいって頭から冷水を浴びた。

これが、、、、音楽だとしたら、、、、僕のやっていることは雑音、、、とは言わないが、、、、、、
意味があるのか?

詩 を聴いているだけでその世界に入り、そのシーンが天然色で脳裏を駆け抜ける。
これが 詩 か。

無理だ。

そして、2006年、再び神戸に来られた。
僕は幸い、裏方になれて、上条さんの楽屋付きになった。
身の回りのお世話のため朝から晩までずっと楽屋入り口に立ちっぱなし。
裏方用のBOSSのモニターから聴こえる詩に耳を傍だたせる。

これが 音楽 か。

自主制作のCDからはデジタルエフェクト無しの昔ながらの曲が流れる。
シンプルな演奏はYESの危機やこわれものを凌駕している。

これが 音楽 か。

このレベルになる自信は全く無い。
でも、コンサートの後、楽屋を出るときに、
「ありがとう、また、、、。」と言って握手をしてくださったとき、
この人を目標にしよう。
と心で誓った。
Mr.ベン エストール
先日あるイベントに参加した。

リハーサル開場に、ガールフレンドのライブに特別参加するイギリス人が居た。

ベン エストール イギリス人、オランダ在住。

物腰は大人しく、リハーサルの番になってようやく、自分のサイケなデザインのクラシックギターの

チューニングを始めていた。

「大丈夫かいな?」

と心配したが、本番、彼の爪弾く音色は僕も、そして失礼ながら他のギタリストも凌いでいた。

ガールフレンドのティアラさんの 「ローズ」を伴奏。

そのダウンビートのミュート奏法は控えめで彼自身を見事に表現していた。

常々音楽は自己表現の手段だと思っている僕は参った。

特に後半のミュートシンコペイションは傑作。

彼のファンになった。

新田天秀
三線唄者です。
詳細は自身のHPを御覧いただくとして、小生なりの批評をさせていただきます。

久しぶりに聴くアバンギャルドな音です。

泡盛の酔いに任せて泥酔の螺旋階段をジェットコースターのようにのぼりながらの三線は狂喜の沙汰。

インプロヴィゼイションを沖縄民謡で聴く。

まだ未完成な部分がまた面白い。

そして、彼は日々変化してます。これから目が離せない三線唄者です。




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